松柏館について|伝統ある「旅龍」の良さを受け継ぐ宿。

ごあいさつ
華美な装飾はありません。にぎやかな娯楽もありません。
ただ、忙しい毎日の中でつい忘れがちになる“何か”を、
ふと思い出せる宿でありたいと願っています。

開湯より、およそ一七〇〇年。
いわき湯本の歴史の中で、
長く暖簾を守り続けてきた当館には
いま流行の施設やサービスはございません。
当館がご用意する「くつろぎ」には、
そういったものは必要ないと考えるからです。

何かとせわしないこの時代。
私どもがご用意しているのは、
何も考えず、心を遊ばせることができるひととき。
「旅籠」の時代から変わらない、
心と体をいやす時間と空間のひとときでございます。

「旅籠」の良さを受け継ぐ宿として、歴史に磨かれた宿として。
皆さまのお越しを心よりお待ち申しあげております。
ぜひ心おきないひとときをお楽しみくださいませ。
 
ボタ山の子どもたち
(写真:左下)
いわきがまだ炭坑として元気だった頃の写真です。
当館ではこんな「なつかしさ」も大切にしています。
(写真:右上)
家長を敬い家族それぞれの団欒を大切にし、
華美ではない程々を良しとする。
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いわき湯本の開湯
四世紀、第十一代景行天皇の御代までさかのぼるといわれています。当時はまだ古墳時代。
はるかなる昔から、傷や病に効果がある神湯として尊ばれて来ました。
  いわき湯本の開湯
▲当館に鎮座している藤森稲荷
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江戸時代
「本陣」としての松柏館

本陣とは大名が泊まる宿のこと。江戸時代、延享3年(1746年)。幕府の視察団に提出された『村差出帳(村見取り図)』には、すでに当館が本陣として記載されています。
  村差出帳
▲村差出帳
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幕末~明治
旅人の疲れを癒す「旅籠」松柏館

いわき湯本は浜街道唯一の温泉宿場として盛況を博しました。
当時の旅は長い道のりを自分の足で歩む旅。
街道を行き交う多くの旅人がわらじを脱ぎ、熱い湯の心地よさに旅の疲れを癒しました。
  松柏館(明治)
▲松柏館(明治)
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戦中、学童疎開と松柏館
昭和十九年。太平洋戦争のさなか、松柏館は疎開する小学生のための受入寮として門戸を開きました。
訪れたのは野区啓明国民学校六年一組男子三四名と四年三組女子二四名。
「戦争」という事実も、松柏館が伝える歴史のなかのひとつなのです。
  戦中、学童疎開と松柏館

<疎開入寮された方からの手紙>

「御主人たちの情愛とお骨折りには今も感謝の念を忘れたことはない。我々は一番良い旅館でお世話になっていたのだという誇らしささえ感じている。
預かった子供達に少しでもひもじい思いをさせまいと奔走され、乏しい食料を工面して手作りオヤツまで作ってくださったご苦労は、我々がいま考える以上に大変なことだろう。
きれい好きだった御主人が、我々の狼藉にどれほど手をやかれたことかと思うと、今更ながら申し訳ない思いになる。」
  イメージ
▲疎開された皆さん
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現代の湯本温泉と松柏館
昔ながらの湯治場から常磐線沿線一の温泉郷へ。戦後のいわき湯本温泉は、その姿を大きく変えて参りました。
そのなかにあってなお、松柏館は本陣としての格式・伝統と「旅籠」としてのくつろぎを守り続けています。
  松柏館(現在)
▲松柏館(現在)
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